December 26, 2005
コストダウンと建築家のモラルについて
こんにちは、リュウです。
「建物の安全性」という信頼を大きく揺るがした耐震強度偽装問題。その波紋は想像以上に大きく、マイホームを手に入れた人々の人生計画までもくるわせてしまいました。
1年の終わり。建築に携わる者として、今一度私たちも真剣に考えてみたいと思います。
1回目の今日は、湘南の現代長屋「逗子・新宿プロジェクト」の設計パートナーでもある「みさき建築研究所」御前先生のコメントをご紹介します。
■コストダウンと建築家のモラルについて
<みさき建築研究所 御前 好史>
この度の耐震強度偽装事件について、一連の報道からは、建築士、発注者(販売業者)、施工業者、建設コンサルタント、各々の責任が明らかになりつつあります。建築家の視点でありますが、私の立場で理解するところでは、コストダウンの手法と建築士(家)のモラルに問題があるのではないか、と考えています。
住宅を設計するときに、必ず直面するのは、建築費のことです。様々な視点からこの問題を乗り越えて行かねばならないのですが、大事なのは、どの立場に立ってコストダウンするのか、ということでしょう。今回の事件を契機に改めて考えてみました。
住宅の設計を依頼される時、建主は、新しい住まいにたいして夢を描いています。また、現在の住まいについての不満や、新しい生活スタイルの希望も強く持っています。またその一方で、実際にかけられる費用について限界があるのも事実です。
我々建築家は、その夢や希望を十分に理解したうえで、現実の場所にどのような建物がふさわしいのかを提案してゆくことになります。また、建築家にも夢がありまして、そのため多くのスケッチを描いたり、模型やパースで検討してゆくのですが、施主の夢と建築家の夢をぶつけ合いながら互いの理解を深めて行くことで設計作業が進んで行きます。
そして、ある時点で双方が現実を知る時期が必ず訪れます。それは建築費の問題です。多くの場合、希望や夢と予算が、一度の見積り作業で解決することはありません。ここで行うのがコストダウンという作業です。実は、このコストダウンこそ、良い意味で、計画の全体を見直す大きなチャンスでもあるのです。希望や夢に対して冷静な視点で考え直してみたり、材料や工法の選択等の専門的な視点からも見直す事が出来るのです。
ハウスメーカーなどの場合は、標準仕様やオプションが用意されていて、標準仕様をベースに、足し算と引き算をしながらコストを調整して行くわけですが、建築家の設計ではそのような作業はあまり多くありません。
では、どのようにしてコストを調整して行くのでしょうか。いくつかの方法がありますが、先ずはプラン自体をもう一度見直してみることです。生活する上で、無駄な動線やスペースがないかどうか、話し合いながらもう一度チェックして行きます。そうすることで無駄な面積を少なくしたり、壁や建具などが合理化してゆければ良いのです。
次に、材料の再考です。建物には様々な仕上げ材や住宅設備、衛生器具などが組み込まれます。その一つ一つについて、本当にこれが必要なのだろうか?と冷静に考えてみたりします。また、品質や使い勝手が変わらない範囲で、建築家から別の材料を提案する事もあります。
さらに、施工方法についても検討してみます。これは単純に、コンクリート造を木造に変更する、というレベルではなく、様々な施工業種を見直して、合理的で低コストな施工を行うための検討を加えて行くのです。但し、これには専門的な知識や多くの経験が必要となります。
最後に、建材の仕入れルートを検討するという方法があります。これは建て主にある程度の(金銭的でない)負担をお願いすることになります。同じ建材であっても、インターネットなどで建主が直接購入することで、中間マージンを省き、コストを下げる方法です。実のところ、建主が建材を支給するという方法は、インターネットの普及によって請負業者からの理解も得られやすくなってきています。
コストダウンは、以上のような方法を組み合わせて、建主と建築家、そして施工業者が共同で進められて行くのですが、品質を落とさずに、どれだけ合理的な改善が出来るかがとても重要なポイントとなってきます。
今回の偽装事件において、報道されている範囲では、コストダウンの手法は鉄筋量を減らすという単純な、かつ危険な発想によるものでした。そして、そのためには品質を落としても良いというモラルハザードがあったに違いありません。
利益を多く産み出すために、建築士は発注者や施工業者の立場からのみでコストダウンを行ってきたわけです。さらに、事件になっていなくとも、建設業界や住宅業界では、利潤追求を第一にコストダウンを行う体質があるのも事実です。
大量生産で多くの利益を生み出して行く、という近代的な物づくりの発想は、住宅には向いていないのかもしれません。そして、住まいに関する指向がますます多様化している現代こそ、一つ一つの物づくりの品質が問われているのだと思います。その担い手である建築家のモラルが、本当に重要であることを改めて痛感させられる事件でした。






